2002.5.19 尾瀬ひうち岳

ばむのS氏から開山祭をやっていると聞かされたにも関わらず雪が多そうということで会津駒に向かった。メンバーはmt.racco夫婦と仙台在住のライバル第2号のN氏だ。朝会津駒の登山口である滝沢橋に向かったが、人・人・人でとても車を置くスペースがないことから、急きょ会津駒を断念し、尾瀬御池に向かった。尾瀬御池の駐車場にはスキーヤー7、ツボ足3の割合でたくさんの登山者が準備をしていた。早速、我々も準備を整え、御池田代に向かった。登山道には雪はほとんほなく、また、あったとしても腐っていて、いたずらに靴を汚すこととなった。雪が途切れなくなったのは、広沢田代の直前だった。しかし、広沢田代にはいるとすでに木道が顔を出しており、いつまで経ってもスキーは担いだままだ。熊沢田代への登りも雪はあるもののステップが階段状に刻まれており、スキーを担いで登るような状態ではない。山頂方面の展望が開けたのは熊沢田代から少し登った沢筋である。しかし、そこから見た山頂はショックだ。なんと、ほとんど雪がなく、黒々していた。僅かに細くて、狭い沢筋に白い筋が残っているだけだ。その筋を我々はひたすらスキーを担いで登った。しかも、結構雪が堅くなっており、下りは苦労しそうな予感もした。しばらく登って山頂に着いた。山頂からは至仏や尾瀬沼がはっきり見ることができた。また、来た方向を振り返ると、会津駒の白い峰と尾根が輝いていた。どうみても、ここより会津駒の方が雪がありそうだ。少し後悔した。暖かい山頂で昼食をとり、滑降を開始した。雪の筋の幅は狭いが思ったより雪質がよく、なかなか滑りを楽しむことができた。しかし、それは樹林帯に入る一瞬のことだった。樹林帯では幹の周りに大きな窪みがあちらこちら点在しており、林間滑降を苦手とするmt.raccoを苦しめた。もう少し、雪があればずいぶん楽なんだが。結局、熊沢田代より下は斜滑降&キックターンの練習に終始した。また、滑りやすい所を狙って滑りすぎたため、ルートを大きく東に外してしまい、修正にも時間を要してしまった。登りこそ、3時間弱で登ることができたが、下りにも同じくらいの時間を要してしまった。